おはようアゼルバイジャン、はやしジャン。
No4814 お盆記念、林は養子縁組のお陰で両親二組、家系図にはあまり書かれない養母の家系について、調べたことをお知らせします、その4、5人兄妹の第二子、抑圧された昭和の農家に嫁いで、、、①
家系図を作る、
と言うと、直系が多いと思いますが、
母方の家系図はあまり見ません。
私の場合は養子縁組を組まれた、
伯母の家系図を知らなかったので、
見直したら、、、、
弟が現れたという話でした。
ただ、このシリーズ、
書き始めてから楽しくなったので、
ちゃんと順を追って、
書いてまいります。
第二子、千枝子について
第二子の千枝子は、
養子縁組組まれたところの養母です。
若い頃から色白で、
美人と言われていたそうです。
長男は優秀だった、
という家系の中で、
千枝子も負けずと賢い方でした。
我慢の人?
若い頃に林家に嫁に来て、
農家に嫁いで来させられて、
厳しい祖父のしきたりに従う、
我慢の人だったように思えます。
まさに男尊女卑
と言われる昭和の時代で、
女性は家を守って当たり前。
そんな中、
自由もままならない生活と、
農家の古いしきたりの中、
すごしてきたと聞いています。
身内か誰かに聞いた話ですが、
そんな千枝子が、
横浜に行ったことがあるそうです。
確かに写真も残っていますし、
伯父と旅行の写真もありますから、
決して外出できない、
というわけではありません。
ただ、その横浜は、、、
一人で行ったと聞いたけど、
間違いかもしれません。
すごい楽しかった、
よかったと周囲にもらしており、
よほど抑圧された生活と、
ザ昭和の農家の家で、
生きざるを得なかったでしょうか。
書きながら思い出しましたが、
横浜で生まれた?
という話も聞いていましたから、
自分が産まれた町に行けたのも
よかったのかも知れません。
女児2人を出産
家は長男が継ぐべき!
そう、
しきたりの中で育ってきた、
昭和の家の中で、
出産したのは女児2人、
3年ちがいくらいで生まれました。
出産のプレッシャーも
あったと聞いています。
そんな中での女児二人ですから、
さらなるプレッシャーを感じていたの
かもしれませんが、、、、
たくましく生きてこられました。
女児二人は色々と
産まれた女児二人は、
色々とあったそうです。
詳しくは書けませんが、
大変な一面もあった、
当時家の中にいた、
実父も感じていたそうです。
夫である養父は、
ほんとうに寡黙な方で、
周囲からは仏様のように
慕われるくらい、
真面目で実直な人です。
私もほとんど話した記憶がないくらいです(笑)
そして、、、
跡取りはどうする?
と話す機会もなく、、、、
建貸をするから若い人を保証人に入れろ、
と銀行に言われるがまま、、
智之を勝手に養子縁組を組んでしまった、
その現場にいたのかも知れません、
よく聞いていなかったのかも知れません、
祖父と税理士が仕込んだ、
相続対策の波に
組み込まれていった、、、、
というわけです。
それが平成9年、
そして平成15年、
事件が起こります。
病院のお見舞いの途中で事故
平成15年、
病院のお見舞いに行こうとして、
事故を起こし、そのまま二人とも
救急搬送されました。
養父(伯父)は脳挫傷、
千枝子(伯母)はろっ骨骨折、
という大事故が起きましたが、
千枝子はお腹に段ボール?
洋服が入った袋?
のお陰で命には別条なく、
その後、要支援・要介護1くらいを
転々としながら、
元気に過ごしました。
その後、私が相続を行い、
有料老人ホームあんしん村を設立し、
家をリフォームするから、、、、
と一時あんしん村に入居していたのですが、
気に入ってそのまま、、、
最期まで過ごしました。
と書いていたら、、、、
長くなったのでその3へ続きます。
さすが、関わった時間が
長かっただけあって濃厚です(笑)
そしてそのまま、
その4を書き続けています(笑)
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