おはようたこるんるん
母の一周忌が終わりました、翌日に母子で同じ新聞に掲載されたこと、介護状態にならずに逝去したこと、意味があるのでしょう。母には感謝しかありません。No5511
母の一周忌が終わりました
先日、母の一周忌が終わりました。
遠方から兄妹がかけつけ、
従妹も来てくれ、
母の姉妹もかけつけ、
皆で食事をしました。
コロナ真っ最中だと出来なかったことが、
やっと出来るようになったのも、うれしい話です。
職員互助会から、お花を頂きました。
可愛らしい色の花が大好きなので、ありがたいです。
また少し前には、
長くお世話した方が、挨拶にと来てくれました。
辞めた職員や、
近所の方や、
たくさんの方々が家までお越し下さり、
感謝しかありません。
令和5年8月10日でした
その日は暑い日で、
あんしん村でもコロナ感染者が出ており、
落ち着かない日でした。
その中で前日までは問題なかったのですが、、、、
当日、ホーム長である母も様子がおかしく、
発熱があり検査したところ、、、
陽性になり、
検査キットを持ち歩きうろうろしてたので、
帰宅を指示しました。
「早く帰ってよ」
少し怒ったような言い方をしてしまったのですが、
それが母との最期の会話になるとは思いませんでした(泣)
それが9時頃、
9時半頃から施設に電話がありました。
「県立病院の○○ですが、峰子さんが救急搬送されたので、病院に来て下さい」
とかけつけたら途中で、、、、
警察車両や近所の方がざわついている場所の横を通りかかったら、、、
母の車が壁に衝突し、
右前が破損した状態で、警察の方々が関与していました。
丁字路を曲がれず壁にぶつかり、
エアバックが効いていたものの、
胸を圧迫され急死。
父と病院にかけつけたのですが、
心臓マッサージなど処置をしてくれたものの、、30分。
大動脈破裂で即死となったのです(泣)
医師から丁寧な説明もありましたが、
あまり頭に入っていません。
よく泣いたり、
「早く帰ってよ」が親子の最後の会話になったことを、大後悔したのでした。
現場に戻り確認すると、、、
マスコミの方がいらっしゃり、
シートベルトをしていなかったり、
コロナによる発熱(38度~)で正常じゃなかったか、
(後日調査も含む)
そんな状況が見て取れました。
メディアはすべて止めてもらいたい
その日の夕方のニュース2局で流れました。
新聞やTVなど色々と電話をして、「流さないで」と依頼したものの、
「警察による報道は一律流す」
とまったく取り合ってくれません。
「家族が依頼しているのに!
プライバシー関係ないんですか!」
と相当食いついたのですが、、、
ダメでした。
実はその翌日、、、
日刊県民福井様のトップで、
産業ケアマネとして掲載頂けました。
その社会面にて、
母の事故のことが掲載されました。
母子で同じ日の新聞に掲載されたのです。
これは何を意味するのか?
と色々と考えましたが、
母子のつながりは絶対に切れないよ、
あなたたちは一対ですよ。
そう言われている気がしました。
介護状態になった時を想像できない
ここからは家族だからこそ言えることなので、
ケアマネとしての立場はちょっと横に置いておきます。
一人残された父と、
相続手続のあと話をしていたのですが、、、、
「あのまま要介護3・4になったら、と思うと想像できない。
亡くなったことは悲しいけれど、
手がかからないで逝かれた、というのはある意味助かると感じる時がある」
そんな話をしていました。
玄関のあがりかまちが高いこと、
家の中に敷居がありまくりなこと、
父の体力や判断力低下、
兄妹の支援が受けにくいこと、
73歳という若さかつ、
私しか近くにいないこと。
そんなことを考えたら、
母が車いす状態で認知症になり、5年・10年長生きすると思ったら、、、、
想像できませんじゃなくて、
想像したくありませんでした。
というのも、
老人ホームで受け入れるとき、
ケアマネとして担当するとき、
内科系の大きな病気があるか、、、
必ず確認します。
心不全、糖尿病、肝臓、腎臓、透析、
そんなことがあれば、、、
病気がない方からすると、
一般的に長く生きられるかというと微妙です。
母は膵臓こそ心配していたものの、
生命をおびやかすような、
大動脈破裂を起こすような、
そんな病気はありませんでした。
(死因を調べるためにかかりつけの病院で聞きました)
するとやっぱり、
長生きすると思います。
さらには、
「胃ろうになっても、何が何でも長生きするから」
と言っていたのは、
自分自身が面倒を見ていた、
関与していた、
支援していた、
たくさんの方々を支えるために、、、、、
長生きする必要があった、
そう思っていたからこそでしょう。
相続手続は3か月
また一方、
相続手続は3か月ほどで完了しました。
さすが3回目にもなると、速いものです。
確かに相続情報一覧図は速かった(笑)
保険会社の方からもお褒めの言葉を頂きました。
「智之さん、速すぎます!
普通は半年、1年かかって当たり前なのに、
異例の速さです」
でもそれは、
私の手続きが早かったのかも知れませんが、
本質はそこではありません。
遺産分割協議を異例の速さで済ませた、
父・兄妹間の関係性の良さがあったからこそ。
その関係性を築いてくれた、
母の努力のたまものなのです。
あかん、泣きながらブログ書いてる。
しっかりと金銭面でも援助してくれた母に、
いつも近くで見守ってくれ、
ケアマネとしての仕事まで教えてくれて、感謝しかありません。
林家として生まれて、感謝しかありません。
生んでくれてありがとうございました。
お母さん、ありがとうございました。
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