おはようてんぷら和尚
「ありがとうございました、お世話になりました」
先日、おばあちゃんの施設入所が決まり、
ご挨拶にお嫁さんが挨拶に来て下さりました。
。
ほぼほぼ一人で、義理のお母さんの介護を、、、
して下さりました。
大変で大変なデイサービスやショートステイの送り出し、
物忘れによる対応、
家のこと、
娘さんの結婚式のこと、
などなど、家を支えながらも、
自身も仕事をされてました。
。
ご本人は途中で認知症が発症し、
どんどん悪化、
日常の事はなんとか出来ながらも、
お嫁さんのことも忘れてしまい、
ショートステイのことも、
グループホームのことも、
「入院するんかえ」
と気さくに、
明るく話してくださっていたのが、、、
印象的でした。
。
私は途中で担当を交代したものの、
裏で話を聞いたり、
アドバイスをしたり、
心配しながらも、
新人女性ケアマネの関わり方に関心しておりました。
お疲れ様でした。
。
夫から10年
この家族との出会いは長くて、
平成27年、地域包括から紹介を頂いた、
本人の夫を担当するところから始まりました。
なんと10年になります。
。
担当した当初は、
担当地区より少し遠いかな、と思いながらも、
要支援2の結果が出て、
パーキンソン病をすでに発症していたため、、、、
訪問リハビリの段取りと、
手すりなどの福祉用具貸与から、
始めました。
。
担当したときにパーキンソン病を患っていましたが、
発症してからすでに20年近く経っており、
一歩目がなかなか出ない、
無動といって動かない、
。
さらには、ザ・昭和の男性のため、
口数少なく、
物静かに、
淡々と運動されている、、、
そんな印象でした。
。
パーキンソン病と自分でもわかっていたため、
当時行っていたのは、
自宅裏の駅から電車にのり、
老舗のホリデイスポーツジムに通っていたのですが、、、、
雨の日は行けない、
家族のお迎えがないと帰れない、
なんていう悩みがあったので、
まずは運動特化型のデイサービスから工面しました。
。
さらには本人が物足りなさそうだったので、
訪問リハビリを週1回入れて、
水曜日の午後でしたが、その時を狙ってモニタリングをしていました。
。
マッスルマッスル(笑)
その時には要支援ながらも、
みっちり1時間、
時には最後までお付き合いして、
一緒に行っていましたが、、、
こちらがばてるくらい汗。
。
ご本人と、
リハビリ担当と、
楽しくその時を過ごしておりました。
そのハードな運動内容はまさにこちら。

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途中何度も「長友じゃないのに。。。」
と、自分が先にくじけそうになりながら、
本人は淡々と行われており、
まったく辛そうな、しんどそうな、雰囲気は出していませんでした。
。
時折、療法士さんから、
はい、プランクあと10回
とさらりと言われていましたが、
療法士さんも自分で言いながらも、バテていたよ、確か(汗)。
。
昭和の男子はほんとすごすぎです。
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パーキンソン病と診断されたら
どこかの記事で書いていますし、
何度も言いますが、
私はケアマネージャとして、これまでパーキンソン病の方を何人も何人も担当してきました。
。
その方々にお伝えするのが、
パーキンソン病や、パーキンソン症候群と診断されたら、
基本は、、、
「動け、動け、動け」
。
と伝えています。
つまり毎日のように動くことで、
いつも拘縮がひどい翌日の朝が少しでも楽になります。
さらに朝の内服と組み合わせることで、
1日のスタートが上手に切ることが出来、
本人も生活が楽になります。
。
他の方で3年ほどで悪化して、
早々に車いすになったり、
入院・入所して、
自分のことが出来ず毎日介助してもらったり、
する担当利用者がいる中で、
この男性利用者は、同じパーキンソン病で悩み苦しむ患者から見ても、
希望の光だったことを覚えています。
。
最終的にこの方の週間計画表は、
なんと、週6回毎日リハビリしてました。
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
デイサービス | デイサービス | デイサービス | デイサービス | ||
訪問リハビリ | 訪問リハビリ |
。
私が担当した5年ほど、
合計25年間は、しっかり歩いて自分のことが出来ており、
なんとか要介護2までで踏ん張っていたからです。
。
カエルの子はカエル、孫もカエル
将来的に施設を考えていたわけでもありませんし、
家族も介護に切羽詰まっているわけでもありませんが、
ショートステイを時折利用していました。
。
そのショートステイはリハビリも併設しているので、
個別機能訓練加算を取得しているショートステイ。
家族のレスパイト(休憩)も考えて、
月1回ほど利用していました。
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そういえば思い出しましたが、
この方のお孫さんも、バレーボールで大学生の頃、TVなどに取り上げられました。
パーキンソン病で20年以上、、、、
悪化しなかったのは、
この方がスポーツマンだったのです。
。
そしてカエルの子はカエル、孫もカエル(笑)
お孫さんも同じバレーボールの道を選び、、、選手としても大活躍しました。
。
新型コロナですべてが・・・
きっかけはどこかの年末にショートステイを利用中に、
新型コロナに感染し、利用が延長し、
年を越してもあまりよくならず、結果的に入院となりました。
。
3か月ほどして、
病院で亡くなったと思います。
。
この頃の記憶は曖昧ですが、
新型コロナ禍ですべてが悪循環。
パーキンソン病が進行しており、ムセがあったことから、
肺炎も併発していたはずです。
コロナ禍で面会も出来ず、
家族とも十分に会えず、
本当に切なかったと思われます。
。
そのコロナ禍が始まる前か、
始まって直後、
一緒に明るく楽しく、
リハビリを見ながら楽しんでいた奥様が、、、、

私も出かけたいなぁ
。
と言い出され、介護保険の申請をしたのが、夏頃。
結果的に要支援1か2が出たので、別のデイサービスを通い始めた、
のが関わったきっかけでした。
。
ほんとは最後まで書ききったのですが、、、
長くて4000文字超えたので、、、、その2に続きます。
。
ありがとうございました、お世話になりました。
Mさんや、林さんにはお手数かけましたね。。。。