おはよう小鳥さん(ことりさん)
その1記事を書きました
お盆記念!、家系図に関する記事を書いています。
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いろいろと情報をかき集め、
お盆に親戚・家族が集合しているのであれば・・・
家系図作成のための情報を聞き出しては?
という話でした。
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人の話はあいまいな点が多いもの、
お墓の墓誌や仏壇回りを調べ、
ゆえに最終的には戸籍の「改製原戸籍(かいせいはらこせき)」を取り寄せ、、、
家系図を作ろう!
という内容でした。
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はやし家の家系図は?
仏壇の中に法名一覧があり、
墓誌にいろいろと書いてあり、
ある程度一致した部分もありましたから、
それだけで家系図を作ること自体はさほど難しくはありませんでした。
戸籍謄本も、相続の時に使ったものが残っていたので、
3代前くらいまで遡れたので、よかったです。
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それがこちら。

あえての大サイズでは張り付けていませんが、、、
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初代は6代前の妻、
没日が1843/11/27、年齢が81歳、生年月日を調べるすべはなかったので、
逆算して、1762年生まれ、
宝暦11年、ということがわかりました。
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世帯主である夫、名前はわかりましたが、、、
没日、年齢などは一切不明なため、名前だけの記録でした。
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法名歴を見ると、
一番上の人が文政2年となっています。

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Wikipediaで文政を調べると、1818年からとなっているため、
宝暦より40年ほど後になります。
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なのでどこから出てきたか、
宝暦のほうが古いということがわかります。
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1歳・3歳で亡くなるケースあり
さらに切ないのは、法名歴の一覧や、墓誌を見ると、
1歳・3歳で亡くなっており、それが記載してあります。
なんとも切ないですが、
親として子供を看取ったのでしょうね。
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過去に何度も家系図の記事を書いている
実はこの記事を作成するにあたり、
過去記事を結構参考にしています。
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よく見てみると、画像も使いまわしでした(笑)
しかもお盆記念、ということで、同じことを書いており、、、、
お盆記念連載(1) 林家の家系図を作ったところ、、、、林家の歴史は最低○○○年!
より具体的です(笑)。
。
しかもこちらのブログでも、同じようにお盆記念で家系図ネタを書いており、、
お盆記念記事、お盆だからこそ先祖や両親とつながり感謝する、お墓参りとともに家系図を作ってみては?お墓から読み取れるメッセージ。
。
さらに養子縁組を組まれた伯母の兄弟についても、
調べて連載記事にしているので、もうお腹いっぱいです♪
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母方の家系図は?
それでは母方の家系図を調べてみましょう
。
母方は勝山市の山奥で生まれ、
祖父・祖母は、いわなや、という名前で民宿を運営しており、
そこでたくさんのつながりがありました。
勝山市北谷町の岩魚専門店、いわなやが閉店、、、、35年に渡り営業ありがとうございました、はやしとの濃いつながりとは。その1
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なんと母は5人姉妹、
孫は17人、
ひ孫たくさん(笑)
まだ増殖中?ですから、
にぎやかなものです。
。
叔父がまとめてくれた家系図を引用すると、、、、
こんな形でキレイにまとまっており、

さらに、1家庭ごとに家系図を作ってくれており、
その大きさはすごいものです。
。
横に広がっていく。。。。
家系図ですね。
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家系図の作成目的は?
林家は横はいったん置いといて、
林家が何代前までさかのぼれるか、を調べるために、、、
縦の家系図を目的に作りました。
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丸山家は人が多く、
広がりがすごいので、、、
横の家系図になりました。
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家系図を作る目的、
は考えていませんでしたが、
一般的には横の家系図が主じゃないでしょうか。
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しかしながら林家のルーツを調べることができました。
ここからさらに横を調べることはできます。
世帯主の妻、
兄弟などを調べていくと、さらに広がることでしょう。
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ぜひチャレンジしてみてください。
身の回りに情報を持っている方がいますから。
存命のうちに、
話ができるうちに、
聞いてみてください。
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鼻を触りながら自慢する父
酒を酌み交わしているときなど
(父はノンアルですが・・・)
。
昔の話や自慢話、
過去の逸話などを話すとき、父が必ずするのが
鼻をさわりながら話します。
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人のそぶり、
人の行動パターン、
人が笑顔で話せるとき、
というのは、
私も見ていて楽しいものです。
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親と関係性がよくない、
という方の話も聞きますし、、、、
入居相談や入居後、
ケアマネとして関わっていく中で、
切ない状況をお聞きすることもあります。
。
親や親族が喜ぶ、笑顔で話す場づくり、、、、、
家系図を作るとは、
そういう場になることでしょうね。
。
だからまたさらに深堀したくなりますね~~
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