おはようきつねどり
実践行動塾合宿、長崎その1記事を書きました
今年の実践行動塾合宿は、長崎。
もちろん目的は、平和公園や爆心地、資料館。
そして軍艦島と盛りだくさん!
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その1記事では、
初日の目的地である、、、長崎平和公園、爆心地、資料館と、
世界平和の大事さと、それを伝えていくことの、、
重要性を実感。
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2日目①、
2日目の早朝は散歩から始まります。
実は・・・朝10分ほど歩いており、1000歩くらいを稼いでいます。
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町の顔は駅、
というくらいですから、ぐるっと回ると、いろんなことがわかります。
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この写真がパノラマで撮影した、長崎駅正面。
左手がショッピングモール、ホテルなどです。
立体道路なども整備されつつあり、
キレイになっています。

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(写真左)駅裏手には、おおきなガスタンク。萌えます(笑)。
静かにたたずむ駅が、私たちを迎え入れてくれます。

(写真右)長崎市内はすぐに山があります。
近いのです。
海への出入り口以外は、周囲を山で囲まれており、、、
坂や丘と共存していることがよくわかります。
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2日目②、軍艦島へ
2日目の主たる目的は、軍艦島です。
インスタグラムでもアップしています。

(画像にリンク貼ってあります)
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軍艦島とは、長崎市沖の海上にある「端島」の通称です。その外観が軍艦のように見えることからその名がつきました。もともとは海底炭鉱の島として栄え、最盛期には約5,300人が住む日本一の人口密度を誇りましたが、1974年の閉山後に無人島となりました。現在は「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界文化遺産に登録されており、上陸ツアーが人気です。
軍艦島の概要
名称:正式には「端島(はしま)」と言います。
場所:長崎港から南西約19kmの海上にある人工島です。
歴史:明治時代から本格的な海底炭鉱の島として発展しました。
日本近代化のエネルギー源を支え、最盛期には約5,300人が暮らし、世界一の人口密度を誇りました。エネルギー源が石炭から石油へ移行したため、1974年に閉山し、住民は島を離れました
と表示されます。
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長崎港から船に乗り、近くまでくるとその偉大さに気づきます。

まさに戦艦大和や武蔵を思い出すような、、、外観です。
正確には端島(はしま)といい、
当時はこの端島のみならず、周囲にも採掘できる島々がたくさんありました。
ガイドさんは他の島のご出身とのことでした。
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軍艦島に行くには会社選びから
軍艦島に上陸しようとすると、
まずは船会社から選択する必要があります。
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現在は5社程度しか行っておらず、
また上陸ポイントや立ち入れる場所も限られており、
見るポイントは同じです。
その中で、、、
各社が入り交じり、時には協力しながら、
観光することが出来るようになっています。
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実践行動塾で選んだ会社は、
でして、陸上にデジタルミュージアムを準備したり、
案内担当が実際に軍艦島に住んでおられた方や近隣の島の方々など、とんがった運営をされていました。
また上陸率も高いことから、強運をお持ちなのかも知れません。
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軍艦島内には観光客が立ち入れる場所は3か所と決まっています。
丁寧なご説明があり、天気がよい中ご説明頂けました。


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特に重要記念物級の壁なども現存されており、
明治からの時の流れを少しずつ感じます。

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なんか動いた・・・
と気づくときがありました。
それは、建物の中に、、、
調査の方々が時折訪れる、とのことでした。
いやいや焦るよね汗。
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元祖ちゃんぽんのお店四海楼、グラバー亭他
そして終了後はミュージアム近くにある、、、
元祖ちゃんぽんのお店、四海楼へ。

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そのまま、、、
グラバー園・大浦天主堂・オランダ坂の観光とお土産購入へ、、、、

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グラバー亭は確か、
高校の修学旅行で来ました。

またこうして訪れることが出来てありがたいです。
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そして出島。
町の中に溶け込んでおり、、、、
こちらは出島の中の出島ミニチュアですが、
当時の様子を知ることが出来ました。

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夜は五郎丸さんが合流して宴会x2へ。。。
そして夜は懐かしき、五郎丸さんが合流して宴会に。。。

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五郎丸さんは、北出さんにあこがれて、、、
福岡県久留米市から何度も実践行動塾に通われ、、、、、
独立し、現在は社会保険労務士として独立されています。

(画像にリンク貼ってあります)
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出会ったときは某店の店長でしたが、
しっかりと従業員を雇用して確実に成長されています。
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そんな懐かしさもあり、、
長い長崎の夜は過ぎていきました。。。。
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