イノシシが見つからない、、、ハヤシです。
おはようございます!
本日木曜日、カフェあんのんの思いやりランチとカフェ丼ランチがはじまりまっす!
よろしくお願いいたします!
30代での相続体験記
連載いかがですか?
正確には、
30代で2回の相続体験記~なんでも自分でやりたい人の記録~
でしょうか(笑)。
あ、バナー募集します!
誰か作ってん♪
あんのんランチおごるデート付です(笑)。
その3です。
楽しかった、エンジニア時代
相続の話に入る前に少し、
エンジニア時代にさかのぼります。
東京には7年と4ヶ月ほどいました。
仕事は本当にさまざまで、
言語もプラットフォームも使用環境も仕事内容もさまざまでした。
たとえば、
・C言語・Motif・デバッガのインターフェースつくり
・C言語ベースのミドルウェアで業務システム
・Oracleデータベース担当などインフラ担当
・Javaで汎用チーム担当
・HTMLベースの業務システム
・DB2やPostgreSQLデータベース担当
などなど技術的なことは一通りしたように思えます。
そんな技術的なことも楽しい日々でしたが、、、、
一番楽しかったのは、人とのつながり
1200人くらいの会社だったので、
福利厚生もしっかりしておりました。
スキー部に入って、他部署の方との交流。
オブジェクト指向の勉強会に入って、他の方との交流。
Oracleマスターに飛び込み、個別レクチャー。
政治的なことが決まっているヤニ部屋(喫煙室)に飛び込む。
社外のダイビング仲間とのつながり、合コン企画。
もちろん同じ部署内の人たちとの飲み会。
などなど、人様とのつながりが特に楽しかったように思います。
縦横無尽にいろんな人とのつながりから、
仕事につながったり、
退職後もつながったり、
しているのも楽しいです。
特に退職前は毎日が送別会に呼ばれて、
残業を平気で断る(笑)、
なんてこともありました。
そんな中、事件が起きます。
事件は平成15年6月、伯父の事故から。
「武兵衛が事故を起こした、大変だぞ」
と、実父から連絡があり、焦りました。
養子縁組を組まれた伯父が事故を起こした、
というのです。
伯父と伯母が入院中の娘のところに行くために、
車で移動中に、
ベルに行く手前の大町の交差点で、
左側から飛び出した車に追突された、
とのことでした。
二人とも即入院、
伯母は肋骨の骨折くらいでしたが、
伯父がかなり重く、
脳挫傷で意識がなく、
即県立病院に入院となりました。
伯父は嶋田病院に転院し、
介護保険を申請、要介護5の結果が出て、
特養を申し込んだものの、、、、
半年後の平成16年1月に亡くなってしまいます。
悔しいかな、その3ヶ月後に特養から空きの連絡が。
介護保険なんじゃそれ、という状態でしたね。
その間、
実父・実母が毎日訪問してくれ、
家政婦を雇い、
日々のお世話をしてくれていました。
私も県外、
兄も県外、
妹も県外、
今思うと父母の近くにいないことで、
大変な負担をかけていたと思います。
その間も、
・地代や家賃の回収
・不動産の管理
の仕事も、実父がやってくれていました。
何が大変って、
・引継ぎがないこと
・通い帳で管理していること。
これらです。
1、引継ぎがない!
突然事故を起こしたこと、
普段から無口な伯父だったこと、
から、どこの土地・建物を管理し、
何がどうあるのか、引継ぎがないことが大変だったこと。
2、通い帳で管理
当時の地代は、昔ながらの通い帳で管理しており、
何年何月まで払った、
という記録を相手が持っていること(笑)。
つまり、手元にない。
ということです。
しかも、ふたを開けてみると、
地代や家賃は、
・毎月、2ヶ月ごと、3ヶ月ごと、4ヶ月ごと、半年ごと
・前払い、中払い、後払い
・現金払い、振込み
などなど見事にキレイにばらばら(笑)。
そりゃあんた、
大変だ、っちゅうわけです。
ここで、養子縁組に入っていたことから、
じわっと大変さを実感し始めたのでした。。。。。
続く。
林の相続体験記(記事)を集めたカテゴリーです。
2回の相続から得たことは知識・知恵のみならず、
Excelなどの各ツールも(笑)。
林の使命は、
相続・介護で困る人を作らない!
ためにこちらの記事で発信して参ります。お楽しみに!
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