全身拘縮(笑)、はやしです。
おはようでございます!
今日は火曜日、あれもこれもそれもどれも、ごりごり参ります!
労働時間が短く、労働生産性が高いドイツ
日本は労働生産性が低い、
と言われていますが、
世界一高いドイツから学ぶべきことがたくさんあるでしょう。
を読みました。
ドイツ人は仕事をする際に慌てて取りかからない。仕事を始める前に、注ぎ込む労力や費用、時間を、仕事から得られる成果や見返りと比較する。
仕事から得られる成果が、手順や費用に比べて少ないと見られる場合には、初めからその仕事はやらない。
もし日本ならば、仕事を発注する側の顧客が、担当企業から「見返りに比べて費用がかかりすぎるので、うちではできない」と言われたら、顧客は激怒するだろう。
顧客はその会社に二度と発注しないかもしれない。だが、ドイツではこういう説明を受けても激怒せずに納得する発注者が多い。
発注者自身も常に費用対効果のバランスを考えながら仕事をしているからだ
『ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか』 P.80より引用
と、そのまま引用してしまいますが、
ドイツのやり方をそのまま引用すると、
まず難しいのです。
それは、このサイトにも書かれているように、
・ドイツの個人を重んずる文化
・職人気質で効率を考える気質
こういったことがベースになっているため、
・全体を重んずる日本文化
・効率を直接考えない日本気質
を考えるとできません。
だから、記事の中にあるように
・サービスの期待値を下げる
・金銭では図れない価値を意識する
というのは、「相手を変えることを前提」としているので、
実際は時間がかかったり、
なかなか進まないだろう、
と思ってしまうことはそういうことです。
しかし、和をもって尊しとなす日本文化が悪かというとそうではなく、
和をもって尊しとなしながらも、きちんと
・労働生産性を上げる
・経常利益が出せる
体質を組織として作り出す必要があります。
すると、相手を変えるのではなく、自分を変える、
今日・明日から出来ること、
日本人の労働生産性を高めること、
というのはこういうことから出来るのでしょう。
1、紙文化・現物文化からの脱却
リアルにペーパレス、
というのは何もキャッシュレスだけに限りません、
社内の紙文化を減らしていく、
印鑑文化を減らしていく、
というのがひとつです。
どうしても年配の方や、既存のやり方を変える、
といったときにハードルになることですが、
ペーパレスを進めていかないことにはきっといつまでも
・紙をなくした
・紙を更新するために作業が発生
ということがいつまでも発生してきます。
どうしても必要なら、最終的な決定事項を紙で書くのみ、
残して時間が来たら綴じて終わり、または?年後に廃棄。
とする。
介護事業の中での印鑑文化からの脱却
ケアプランから印鑑欄を廃止しました
・紙を減らそう
・手間を減らそう
・押印の意味を考える
というところから、
ケアプランなど直接契約に関しない部分は、
自署のみとしました。
そもそも認印の文化というのは
シャチハタ・認印・実印の違いとは?三文判と銀行印のギモンもスッキリ解消
から引用すると、
・企業間の契約書の担当者印
・各種申請書
・訂正印
・銀行印(実印と兼ねていない場合)
とかかれており、
申請書、契約書、訂正印には必要だけれど、
契約ではない計画書(ケアプラン)には押印は不要、
という理屈になります。
(個人的には企業間の契約書の担当者印も不要、
了承した・見たという承認の意味合いだから)
次は、予防ケアプランの印も不要
こちらも不要です。
認印を押す必要性はなく、今後削除していく予定です。
では、なぜ押印するのか?
たとえば、ケアプランに押印する必要性についても、
行政に確認しても「明確に必要な理由がなく」、
他の方に聞いても「ないよりはあった方がいい」、
「印、の文字があるから押していた」、
と言われたりしています。
この「ないよりはあった方がいい」が続くことが、
「場合によっては印鑑がいらないであろう」と考えること、
「改革をすすめること」が進まない理由となります。
であれば、きちんと確認して、
「契約書や申請書のみ、認印・訂正印を押す」
とルールを決めてしまえば、そういう文化になっていくわけです。
「自らで印と書いていた場所も減らしていく」
とすればそうなるわけです。
長くなりましたが、どうやら連載になりそうです(笑)。
引き続き、お付き合いください。
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