にーどーぬー、はやしです。
新型コロナ対策室の月残業時間が378時間、平均で120時間、どブラックな環境を乗り越える方法を林の体験談から
残業378時間!
衝撃のニュースが飛び込んできました。
(画像にリンク貼ってあります)
新型コロナウィルス感染症対策推進室に勤務する職員が、
1月に最大378時間の残業。
平均122時間の残業も常態化。
これは危ないっすね。
1月は31日ですから1日24時間として、
1か月で744時間、
正月もあり20日間勤務で160時間として、
残業が378時間だとすると、
1か月合計で538時間勤務。
週1回の休みとして1日21時間、
1か月勤務として1日18時間、
勤務していたことにあります。
ようするに、仕事以外の
食事・寝る・過ごす・余暇・移動・すべて含めて、
1日6時間しかないことになります。
※1日8時間勤務なら、その他は16時間ですからね。
こんな生活していたらぶっ倒れます。
ちなみに、産業医への受診が必須となります。
120時間を超えていても、
過労死レベルと言われてしまいますので、
続けてはいけません。
西村大臣は
「(自身が)大臣だからといって全職員の残業時間が分かるわけではない」
とおっしゃっていますが、
勤務時間、特に多い人はマークされて上司に報告が行くはずですから、
全く知らないというわけではありません。
そんな言い方は失礼で無責任です。
継続性が大事
確かにいまこの月!踏ん張らないといけない!
という決算期などがあり、
1月だけ、というのならわかりますが、
未曽有の危機、
特に新型コロナウィルスで長期化する、
とわかるわけですから、
持続できる方法を模索すべきです。
なぜ共感できるかと言うと、
私も前職退職前に、
1月200時間残業していたからよく分かります。
それでも月360時間、
コロナ対策室の方は538時間、
ですから本当にお疲れ様ですとしか言いようがありません。
当時の様子は
当時の出勤簿は今も手元にありますが、
9:00~3:00
10:00~2:00
とかがならぶ日々でした。
2004年3月はウィークリーマンションが借りられていたので、
3時に終わっても歩いてマンションに帰り、
朝4時のめざにゅーをみながらビールを飲んで寝る。
という生活でしたが、
2004年4月はウィークリーマンションが借りられず、
家から通っていました。だから帰るのは2・3日に1回、
夜は会議室の椅子で寝ていました。
同じく4月に従弟の結婚式が福井であったので
土曜日 午前だけ仕事してそのまま新幹線に
日曜日 夜7時頃そのまま職場へ。
と、結局休んでいないことに気が付いたことがあります。
もっとひどい生活って、思いつきません。
対策室の方々、本当にしっかり休んで欲しいです。
乗り越える方法
具体的な方法は思いつきませんが、
当時やっていたことをおぼろげながら思い出すと・・・
1、作業能率をひたすら上げる
よくExcelのヘルプを見ていたのもこの時期でした。
時間が長い=作業が多い、効率が悪い
というわけですから、
ローテクな仕組みはすべて見直しました。
そのためExcelは特に勉強したと思います。
(マクロは使いませんとしませんでした)
いくつかのExcelをかき集めて、
簡単にコピペして集計したり、
INDRECTを覚えてゴリゴリ集計したり、
席から離れないでIPメッセンジャーを使ってやりとりしたり、
手作業をとにかく早く、席から動かなくていいよう、
作業効率を上げた気がします。
そのためにExcelのヘルプをよく読んでいた気がします。
その他、
・Outlookで自動振り分けしたり
・何かと自動化したり
してたと思います。
2、メールの返信はすぐ
最大1日800通くらいくる立場でした。
・社内の連絡
・業務内お連絡
・システム全体報告
・他分野の細かいメール
など30分毎にメールをチェックして、
すぐ返信できるものは返信する。
そんな繰り返しでした。
デスクワークしててふと気が付くと(顔を上げると)、
Outlookメールで未読が20とかになってる。
しかも、
・社内メール
・業務内メール 2
・システム内 3
・バグメール 20
30分毎にそんな感じです
3、自分の作業は20時以降
自分の作業は20時以降、
速くて18時以降と決めておりました。
他社や他部門とのからみ、
時間内に終わらせておくべきことは、
マネージャとの打ち合わせ、
日中やるべきことは、とっととやっておいて、
・自分の担当の開発部分
・テストやデバッグ
・管理資料
・報告関連
などは原則18時以降に行っていた気がします。
部下の職能把握など全くできず、
すべて前日に徹夜してました。
長く続いたのか?
その4月に「辞める」と話をして、
5月には落ち着き、
6月・7月にはすっかり残業ほぼなしにしていました。
というのも、ご挨拶したり、
飲みに行ったりが忙しくて、
仕事してる場合じゃなく(笑)。
残業を頼まれても断っていました(笑)。
あのまま長くいたら、
体も精神も心もおかしくなっていたかも知れません。
つまりはいつかは終わりが来る、
ということですから、
やはりその場その場はしっかりと乗り越えないといけません。
社内の他のメンバーも6月には、
落ち着きつつある様子でしたから、
やはりシステムテスト(終盤)になると、
時間が出来るものですね。
その年の8月に福井に戻ってきた、
というわけです。
長時間残業する方へ、上司の方へ
とにかく残業が200時間を超えるなんて異常です。
だから減らす努力を政治的に行うか、
作業効率を劇的に上げるか、
していかないとメンバーの体力が持ちません。
当時も無駄な会議がありましたが、
減らして、
メールなどに出来れば変えました。
既存の時間のかかる仕組みは、
Excelをフル活用して作業効率を上げました。
頭が凝り固まった人こそ「変える意識」が出来ず、
「変えられない」と固定化します。
こんな話だってよくわかっている、
と思うでしょうが、
「当たり前」「わかっている」の話が、
伝わりません。
理解されません。
行動につながりません。
こちらも、よそ者・若者の意見を聞いて、
減らせる業務は減らしていくしかありません。
断るべきことは断るしかありません。
7月末で退職しましたが、
8月になって数字の誤差が出るからとテスト依頼が来ましたが、
丁重にお断りしました。
出来ないことは出来ないと言うのが正しいです。
でないとずっと流されてしまいます。
少しでも現場が改善されて、
長時間残業から解放され、
しっかりと休みをとりつつ、
継続できる働き方をして欲しいですね!
ちなみに、
サービス残業ではありませんでしたので、
残業代もフルで頂いておりました。
それでも、利益が出たと、
マネージャが喜んでいたのを覚えています。
しかしながら、あのまま続けていたら、
きっと当時直属のSマネージャのように、
いいように会社にこき使われていたかも知れませんし、
わかりません。
尊敬していたS氏はよく笑っていたけど、
笑わない目が今でも印象に残ります(笑)
相続と帰省が重なり、
自分の意思でなく「家の都合で辞めれた」のは、
タイミングが良かったのかも知れません。
そんな決断をするのも大事です。
家族がいらっしゃる方はなおさらでしょう。
ぜひ、体やメンタルや家族を大事に!
お願いいたします。
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