おはようムシバキン
母の一周忌後、遠方兄妹3人がそろったので、母の生誕の地、また北谷町木根橋・いわなや跡地に行ってきた。その2、いわなや跡地と東山いこいの森の今を伝える。事業再生できるかというと・・・ソフト面も必要 No5513
その1記事を書き、
その後すぐに書いています。
その1記事では、
昨年7月も行ってきたけど、その後母の急逝があり、、、、
遠方の兄妹が集まったので、
改めて母の生誕の地、北谷町木根橋に行ってきました。
改めて言いますが、勝山市で、
国道157をまっすぐ、40分くらいです。
白山神社、集会場といった、
昔は91軒あってにぎやかだったあの頃を思い出します。
そして実際の順序はいわなやが先でしたが、
こちらもリポートします。
いわなや(撤去済)の今
そして場所を移動して、
私のサービス業の祖、
いわなやに行きましたが、、、、
過去記事で、閉店にあたって、
皆が集まったあの駐車場が、、、、
今は更地になっています。
いわなやの前にあった水槽の跡や、
蕎麦屋があった場所には基礎の跡が、
ありましたが、今は寂しそうな様子です。
いわなやがあったあの頃の思い出が、
湧き上がってきます。
崖下にスキーの練習で下りたり、
水芭蕉を取ってきたり、
あけびや山菜を取りに行ったり、
爆竹ならして遊んでたり、
雪が積もったのでかまくらを作るために、、、
横に掘ったり、1m以上積もったので下に掘ったり(笑)
もちろん、いわなやの中で、
料理を提供したり、
部屋を掃除したり、
大量の洗い物をしたり、
賄い飯が美味しかったり、
友達連れて行ったり、
さらには、
通りがかるライダーに営業かけて寄ってもらったり、
祖父と一緒に岩魚の養殖場に行ったり、
私自身もサービス業の祖となる、
地盤を築いたところです。
東山いこいの森の今
余計なことばかりしていたあの頃、
近所に要所がありまして、
そこでもさらに余計なことをしていました(笑)
それが、、、
東山いこいの森です
過去記事に書きました。
いわなやの近所にあるキャンプ場、
東山いこいの森は、まだ存在していました。
ここには仙人と呼ばれる方がいて、
2001年7月までブログを書いていましたが、今は引退。
キャンプ場はそのまま残っています。
20年近く入ったことがありませんでしたが、
いい機会なので入ってきました。
子供を連れてキャンプに行き、
コテージに泊まったこともありました。
その、東山いこいの森はどうなっているでしょうか。
昔のたたずまいが、そのまま残っています。
管理人室は戸板が打ってあり、
立ち入り禁止になり、
各コテージもしっかり施錠、
遊具は徐々にぼろぼろとなり、
逆に危険な様子です。
遊具は15基ほどあり、
よく遊んだものです。
逆から利用したり、
一つの遊具でとことん遊んだり、
使い倒した感があります。
コテージの様子
コテージの数は多く、
大中小様々なサイズがある中、、、、
利用されずにひっそりと、
たたずんでいます。
人が住まないと痛む、
というほどでもありませんが、
水も止められ、
管理されなくなった建物は、
寂しそうです。
小さいのは二人用でしょうか。
今も静かにたたずんでいます。
森林は
森林は相変わらず立派な木が、
何本も生えており、
草はぼうぼうですが、、、
静かにたたずんでいます。
広場ではキャンプファイヤーした記憶が
そして上ったところに、
広場がありまして、
思い出しました。
「ここでキャンプファイヤーしたよね」
高校生で山岳部で利用したとき、
宿泊学習のとき?、
家族で利用したとき?
シチュエーションがあまり思い出せませんが、
記憶はしっかりあります。
炊事場、その他
その他、、、、
炊事場では皆でカレーを作ったり、
洗い物をしたり。
風呂がなくてシャワーでぶつくさ言ったり(笑)、
大きな池は底なし沼だと嘘ついたり(笑)
そんな思い出がわきあがる、、、、
そんな場所でした。
現在のいこいの森は機能していませんが、
取立山(とりたてやま)に行く通路として、、、、
利用されています。
記憶があいまいですが、、、、
岩魚を釣ったり、
道路に普通に天然のわさびが生えていたり、
山菜を取りにいったり、
もしていたことでしょう。
そんな自然の真ん中で育った記憶を、
思い出しました。
東山いこいの森、事業再生プラン
そんな中、兄・妹から、
「智兄さん、いこいの森、再生したら?
インバウンドや新幹線のお陰で、
観光客が増えているよね」
なんて、事業再生プランの話もしていました。
遊具はすべて設置しなおし、
コテージも危険なものがある、
管理人室もどうか、
上水も下水もあぶなっかしいところ、、、
再生するほどの余力はありませんが、
人が集まるのでしょうか。
大コテージはゆったりと二人・3人用。
小コテージは流行りのソロキャンプ用。
全体でざっくり5000万円かかるとして、
クラウドファンディングで1000万円、
行政の補助金で数00万円?、
町の力でいくらか。
そんな風に積み上げていくしかありません。
入場料や回収の年数を考えて、、
さらに人件費などを考えて、、、
相当な入場者数を見込む必要があります。
インバウンドでお高め料金にしても、ですね。
自然を楽しむのであれば、
池田町や竹田の里でも体験できますし、
コテージなども他にあります。
差別化のポイントが難しい。
いわなやがあれば、、、
人の力がもっとあれば、、、
仙人がいてくれれば、、、
観光の点だけじゃなく、
線や面の売りがあれば、、、
一人の力ではどうすることもできません。
口惜しいところですね。
ハード+ソフトの力を
これからの再開発や、
企業再生といった、
再度また盛り上げよう!
という動きは
ハードだけの整備では出来ません。
そこで働く人たちや、
運営、イベントなどソフト面もしっかり行わないと、
再生などまったくもって無理です。
ということは、
以前書いたような、
雁が原スキー場の再生プランを当てはめると、、、
出来るかも知れませんし、
それも地元の人たちの
「私たちだって何とかしたい!」
そんな声がないと、
資本を投入しただけでは、
受け身の姿勢では、
出来るものも出来ないでしょうね。。。。
コメントを残す