通り雨ぎりぎりで墓参りできた、ハヤシです。
おはようございます!
お盆です!
Facebookを見ていると、
旧友とあった、BBQだ、海だ、と楽しんでいる様子が伝わってきます。
そんなお盆でも、有料老人ホームあんしん村にご見学や面会頂く、
方々がいらして、ありがたいですね!
笑顔が伝えられないのが残念です!
お盆特集!林家の家系図を作った。
昨年まではアメブロでずっと書いておりましたので、
お盆特集を思い出しました。
林家の家系図を作ったのでした。
お墓には石版がありまして、
そこに安政とか大昔の記録がたくさん書いてあります。
仏壇の中から法名歴が見つかっているので、
これらを組み合わせたところ、、、、
このようになりました。
直系だけを書くとこうなります。
林 武太夫(初代と定義)
妻(※) 天保12年、81才没
::
林 武兵衛、安政5年、71才没
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林 栄吉、昭和10年、73才没
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林 武士、昭和61年、92才没
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林 武兵衛、平成17年、84才没
::
林 智之、
5代までさかのぼることができました。
この家系図での初代は、
「林 武太夫」となるのですが、
その妻が、天保12年、81歳で亡くなっていることがわかりました。
天保12年とは、
西暦1843年。
81才で亡くなったということは、
産まれたのは、西暦1762年、
なんと宝暦11年です。
1751/12/14 | 宝暦 | ほうれき |
1764/6/30 | 明和 | めいわ |
1772/12/10 | 安永 | あんえい |
1781/4/25 | 天明 | てんめい |
1789/2/19 | 寛政 | かんせい |
1801/3/19 | 享和 | きょうわ |
1804/3/22 | 文化 | ぶんか |
1818/5/26 | 文政 | ぶんせい |
1831/1/23 | 天保 | てんぽう |
1845/1/9 | 弘化 | こうか |
1848/4/1 | 嘉永 | かえい |
1855/1/15 | 安政 | あんせい |
1860/4/8 | 万延 | まんえん |
1861/3/29 | 文久 | ぶんきゅう |
1864/3/27 | 元治 | げんじ |
1865/5/1 | 慶応 | けいおう |
1868/1/25 | 明治 | めいじ |
273年前までさかのぼることができた、
というわけです。
私は養子縁組を組まれているため、
実父がいますので、聞いてみたところ、
「知らんかった」
とのことでした。
お盆にそんな家系図を振り返ることができて、
よかったなぁ、という記事をアメブロで書きました。
さて、その記事の続きです。
林家の墓、実は2箇所にあります。
こちらが本体ですが、、、、
近くに古い墓を集めて保管してあります。
ちゃんと、家紋の「梅鉢」が入っています。
前述の法名歴と組み合わせてみると、、、
法名:順要さんは、51歳で亡くなった、林伊太夫さん
2代目、林武兵衛の甥にあたります。
法名:菊寿さんは、73才で亡くなった、林栄吉さん
本家です。
同じ場所には、林伊太夫さんさんだけの墓もありましたが、
結局は同じ墓に刻まれていました。
この二人が同じ墓に入っているということは、
林伊太夫さんが独身だったのかもしれません。
その他、5歳で亡くなった、林おみすさんだけのお墓があったり、
(亡くなったのは文政2年7月17日)
法名はあるけれど、名前がわからない方4名が刻まれたお墓があったり、
(亡くなったのは文久2年、明治9年x2、明治11年)
と、しのびないお墓がありました。
なんだか切ないですね。
実父の家出物語
叔父の林武兵衛が事故を起こし、
結果的に亡くなったので、わたしが福井にいるわけですが、
実父は林家にたくさん貢献してくれています。
実父が県外の大学に行った理由は、
「実家から逃げたかった」
というだけあって、
林家から逃げたかったようです。
いろいろとありましたが、
こうやって林家のために尽くしておられる実父の希望は、
「林家の墓に入れて欲しい」
でした。
分家なのでお墓を持つべきか、
実母も考えるとセットで入るべきか、
などなど考えたようですが、
林家の墓にぜひ入れてあげたいですね。
お盆はこんな終活にもつながるような、
先祖ともつながるような、
そんな話が満載でしょう!
楽しいこともいいですが、
先祖に感謝を伝えて、
毎日仕事したいですね!
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