おはようアイスランド、はやしでランド。
No4812 お盆記念、林は養子縁組のお陰で両親二組、家系図にはあまり書かれない養母の家系について、調べたことをお知らせします、その1隠されていた5人目の弟の寂しい?生涯とは
お盆記念、連載記事
お盆記念、ということで、
こんな過去記事を書いています。
お盆だ!家系図だ!
と、お墓の石板と、
仏壇の中の法名一覧を、
組み合わせたところ、、、
273年前、
1843年、
天保12年。
この先代妻が亡くなったのは81歳
でしたから、
1762年、
宝暦11年。
というわけです。
すげぇ、林家(笑)
という記事でした。
5代前で1024人
と先祖の数を
数えることが出来ますが、、、
私の場合は、
実父、実母
に加えて、
養父、養母
がいます。
(戸籍上)
となると、親が4人いることになるので、
その2倍になります(笑)
みんな直系はよく調べるけど
倫理法人会などでも
家系図を作った!
という話を聞いたりしますが、
それはあくまで直系の話。
つまり、
父の父の父の父の、
と天皇家のように、
男系の家系を調べています。
だから今回も、
養父・実父の家系図でした。
実母の家系図は、
実母の叔父が
調べてくれているので(Thanks!)
大丈夫なのですが、、、
知らないと
実母の家系図すら
調べていない場合もあります。
なのでもっと踏み込んだところ、、、
もれている方がいます(汗)
それは、、、
養母
つまり養子縁組を組まれた、
養母の家系図がない、
のです。
養母の家系図
だから調べました。
(過去に)
養母の兄妹は、
伯父 伯母 叔父 本人(養母)
と4人と聞いていて、
その両親は
○○伊平氏、
○○よしを氏、
とわかりました。
これは、養母の相続が発生したときに、
戸籍謄本などで調べてわかりました。
そしてどうやら、
養母の祖父は、警察関係者だったようです。
5人目の弟
そしてその後、
衝撃の事実を、
実父から教わります。
実父「5人目の弟がいて」
そして
⑤四朗さんを追記したのでした。
四朗さんの人生は
なかなか波乱に満ちていたそうです。
末っ子だからと家を出て、
家庭を築いたものの、
体が弱いなどの理由で
出戻り、
家にも置いておけず、
そのまま施設に入っていたそうです。
それを偲んだ養父は、
定期的に会いに行ったり、
面倒を見ていたそうですが、
養父・養母が亡くなったことで、
身よりがなくなりました。
○○病院の連携室から電話
そしてつい2か月ほど前に
連絡がありました。
「○○病院の連携室の○○と
申しますが、、、」
と申し訳なさそうに、
電話がかかってきました。
訃報の知らせ、
というわけではありませんでしたが、
その施設を出て、
要介護4~5になり、
特別養護老人ホームに入るか、
体調が良くなければそのまま病院にいるか、
の瀬戸際だそうで、
身よりがいないことを案じた連携室が、
電話をかけてこられました。
幸いなことに
その担当の方は、
別件、有料老人ホームあんしん村の入居で、
お世話になった方でした♪
経緯を説明して、
こちらではなかなかできないため、
叔父(養母の弟)にバトンタッチ、
とお願いしました。
叔父も亡くなっていた
ところが、
人生というのは皮肉なもので、
ちょうどその頃、
叔父(養母の弟)も、
体調を崩して急に亡くなった
あとでした。。。
その後、⑤四朗氏も
亡くなったと聞きました。
その妻に依頼をして、
ほんと大変な中、
引き受けて頂き、
直系の方でなんとか
対応頂いた、
というわけです。
後日談ですが、
子供の力を全面的に借りて、
県外にいながら、
コロナ禍ではあったけど、
なんとか出来ました。
と聞きました。
高齢になると家族すら亡くなる
ほんとこの仕事してて
あるあるなんですが、、
保証人が亡くなったり、
支えている妻が先に亡くなったり、
細い細いキーパーソンの紐が
切れていたり、
なんてこともあります。
⑤四朗氏は、、、、、
死を感じたときに
何を思ったのでしょうか。
「わが人生悔いあり」
と言っていたのでしょうか、
それとも、、、、
お盆記念ということで、
なかなか触れられない
家族のことを書いてみました。
このシリーズ、
なかなか感慨深いので、
連載で参ります。
明日は養母の
人を支えまくった人生について。
お楽しみに。
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